鉛筆削り

satesate1562005-06-27


 使うときには使わないで、使うときには使わないものなあに。
というなぞなぞがある。
 模範解答は「お風呂のふた」というものだ。
 お風呂のふたは、お風呂場のなかでは脇役であって、主人公ではない。そんな関係が鉛筆と鉛筆削りにもある。あくまでも主人公は鉛筆であって、鉛筆削りは鉛筆を引き立てるための道具である。いつもは使わない。そして、鉛筆を使わないときに鉛筆削りをつかう。正確には、鉛筆が使えなくなったときに、鉛筆削りを使う。
 
 鉛筆をごりごりとハンドルを回して削っているあいだ、ハンドルを回すヒトは、鉛筆の芯のことを考えて、鉛筆削りを使っている。自分が使われているのに、気にとめてもらうのは鉛筆である。主人公ではない脇役だから仕方ない。
 ときに、鉛筆削りが主人公になるときがある。鉛筆削りの中で鉛筆の芯が折れて、つまってしまったとき、ヒトは「やれやれ、なんてこった」と言いながら、やっと、鉛筆削りの中を注意深く覗き込む。折れた芯が取り出されると、ヒトはもう一度鉛筆をはさんで、先ほどよりも乱暴にハンドルを回されたりして使われる。

 だが、しかし、一本の鉛筆が最後まで使われることはまずない。
 この鉛筆削りは、そうやって、もう、何千本もの鉛筆に付き合ってきた。
 主人公ではないが、鉛筆削りは鉛筆の初めから終わりまでを面倒見る存在なのである。鉛筆削りが主人公になり、ヒトに意識されるようになると、永く置いてもらえなくなるのかもしれない。
 鉛筆削りは、目立たないことで永くヒトの傍にいるモノなのである。

これは私が小学校の時に買ってもらった鉛筆削りである。